ヤシュウの部屋

30代ゲイが生き方を模索しながら考えたことを綴るブログ

LGBT差別にはナウシカのように向き合いたい

f:id:ogaogaos:20180405225538j:plain

 

withnewsというニュースサイトで、こんな記事が掲載されていました。

 

 「海外と比べて、日本のLGBT団体や『アクティビスト』と呼ばれる人たちは、活動の視点が偏っていると感じます。LGBTのことしか考えていない。自分だって、他の分野で同じような偏見をもっているかもしれないのに。本当に多様性を実現したいなら、障害者とか、他のフィールドの視点も入れて考えるべきです」

 

自分としては、上記の引用部分の考えにわりと近いかな。

同性婚などのLGBTに関する社会問題について、世の中に訴える人たちが存在するのは意義のあることだと思います。

ただ、あまり声高に「LGBTを差別するな!」と主張する人たちは、ちょっと怖いし、不寛容すぎるような気がする。

 

そもそもLGBTに対して差別的な態度をとる人たちは、「ゲイ・レズってなんか気持ち悪い」という生理的嫌悪感からそうしているんでしょうから、理屈で「差別はダメよ」と言っても全く心に響かないのではないかと。

 

LGBTに対して攻撃的な人たちを改心させることにエネルギーを使うより、それもまた多様性と割り切って、理解してくれる人たちのいる場所を探して生きていくほうが、LGBT個人としては幸せになりやすいんじゃないかな。

 

 

ここでようやくタイトルの話になりますが、『風の谷のナウシカ』に、主人公のナウシカが野生のキツネリス「テト」を手なづけるシーンがあります。

ユパ様がつかまえた、人に懐かない野生のキツネリス。ナウシカが手を差し出すと、案の定キツネリスが指にかみつきます。

しかしそのままナウシカがやさしく「怖くない、怖くない、おびえていただけなんだよね」と語りかけると、やがてキツネリスがナウシカの指をなめ始めて、ナウシカに懐いてしまうのです。

 

LGBTを嫌っている人は、「LGBTって何かよく分からないし、同性同士の恋愛なんて自分の周りでは見たことないから気持ち悪い」くらいの感覚なんだろうと思います。

だから、もしLGBTに対して差別的な言動をする人に出会っても、「差別はやめろ!」と声高に批判するのではなく、ナウシカのような心境で対応したいな、と俺は思うのです。

 

『ほら、ゲイは怖くない、怖くない

どこにでもいるようなオジサンだよ

ほらね、怖くない、ねっ?

おびえていただけなんだよね

ウフッ ウフフ…

ユパ様、このイケメン、私にくださいな』

 

ただ、みんながみんなナウシカ的なスタンスだと、世の中はなかなか変わっていかないでしょう。

だから同性婚やパートナーシップ制度の実現のためにがんばっている人たちに対して、「同性婚なんて一部のLGBTにしかメリットないだろ!」といった批判をするのもちょっと違うと思います。

 

俺自身は、もし同性婚が実現しても特に利用する予定はないですが、同性婚が「普通」になることは歓迎です。

結婚などの社会制度は、そこで生まれ育った人の価値観や考え方に大きな影響を与えるものです。

もし同性婚が合法化されたら、その後の時代に生まれてくる子どもたちは近所に普通に同性カップルが存在するような環境で育つことになる。

本人は異性愛者であっても、小さい頃から当然のように同性カップルを見ていたら、同性愛者をことさらに攻撃するような大人にはなりにくいでしょうから…長い目で見れば同性愛者全体にメリットがあるのではないかと。

 

異性愛が当たり前の社会の中で既に大人になった人たちに対して、「同性愛を理解しろ」と言っても限界がある。

社会制度や教育制度を変えて、子どもの頃から自然と多様性への理解が進むようにすることで、徐々に社会が変わっていくことを期待するくらいしかないんじゃないかな。

 まあ、その頃には俺はもうお爺ちゃんでしょうけど…

 

なにかと生き辛い世の中ですが、今いる場所で「当たり前」とされていることが、他の場所では「当たり前」ではなかったりするので、うまく生きやすい場所に移動しながら生きていきたいものです。